TURTLE MOON の Web雑記
ナムコがスポンサーのラジオ番組「ラジアメ」の本『モアイの涙』『モアイの鼻血』:07年11月9日
前回に引き続き、ナムコ提供の伝説の深夜ラジオ番組「ラジオはアメリカン(通称:ラジアメ)」を、番組から生まれた本をみながら 振り返ってまいりたいと思います!
これは、ラジアメ本の第2弾『モアイの涙』です。
この本は、ご主人の仕事の都合で渡米した初代パーソナリティ「大橋照子」さんの後を継いだ、二代目パーソナリティの「斉藤洋美」さんの時代に発行されました。
授業中でも隠れて読みやすいポケットサイズで、価格も400円とお手頃です。←こんな本、学校に持って行ったら いじめられるよw
この本のタイトルについている「モアイ」というのは、斉藤洋美さんのお顔がモアイのように大きく、鼻も矢印のようで存在感がある、というところからきております。まぁ、無理矢理ぎみですが(笑)。
で、その中身はといいますと……
……まぁなんといいますか、こんな感じです(笑)。
それでも、ダジャレネタがメインだった1冊目の『みんな正気です』とくらべると、それなりに程度的な進歩がみられるような気もします。みんな成長したね!
え、え〜と、ラ、ラジアメリスナーじゃなかった皆様は、つ、ついてきておりますか?←不安げw
もしかしたら、読んでて苦痛だとおっしゃるかたも おられるのかもしれませんが、あと1冊だけご紹介させてください!
ラジアメ本の第3弾は『モアイの鼻血』です。
『モアイの涙』とくらべると、サイズはドドンと大きくなって、価格も倍の800円に。
しかも、その鮮紅の鼻血色をまとった目立ちすぎるカバーのせいもあって、授業中には読みづらい本になってしまいました……。←なぜそんなに授業中に読みたがるw
表紙の写真は『モアイの涙』の使い回し。
裏表紙は「ブー」と大書しただけという手抜きモード。
まぁ、インパクトはあったかもしれませんけどね(笑)。←“「あたかも」を使って短文を作りなさい”の問題で、“トイレに紙があたかもしれない”という珍解答ネタがあったのを思い出したよw
サイズが大きくなったところで、中身のほうは相変わらず! まぁ、なにもいいますまい(笑)。←中途半端に本音を漏らすなw
当時の少年たちは、深夜、ひとりで暗〜くラジオを聴きながら、これらのネタで大爆笑していたのですね……。
ラジアメもこのころになると、リスナーと番組の距離感がよりいっそう近づいて、とてもアットホームな雰囲気になっていました。
ちなみに、上の写真の左にいる男性は、構成作家の「鶴間政行」さんです。
鶴間さんは、ラジアメの15年間を支え続けた裏方の人……のハズなのですが、構成作家という立場にとどまらず、メインパーソナリティの受け手役としても大活躍しました。
つまり、番組を全面的に支える「影の主役」的な存在だったのです。
彼は「萩本欽一」氏の弟子であるため、この番組のアットホームな雰囲気は、欽ちゃんファミリーの流れからくるものなのかもしれません。
深夜放送のラジオであるにも関わらず、基本的に下ネタは皆無でしたし……。←“下品”と“面白い”をはき違えた最近の安いお笑いとは違うよなw その分、軽くて幼い感じにはなるけどもw
そして、ラジアメのアットホームさは、このような「ふれ愛キャンペーン」などのリアルイベントで、培われたものでもあるのです。
イベントは、番組の面々とナムコのスタッフが、日本全国を回ってリスナーたちと触れ合うというもの。
でも……
オタクが山のように集まるイベントなんて、なんかちょっとキモいよね!←ちょw
あ、そうそう、このページでご覧いただいているモアイの鼻血は、斉藤洋美さんと鶴間さんのサイン本なんです(笑)。
つまりこの私も、北海道でおこなわれたイベントに参加した、大勢のオタクのひとりだったってことですね! えへへっ☆←つうか当時オタクなんて言葉あったっけかw?
もちろん、ラジアメイベントはナムコの協賛であり、ナムコメインのイベントにラジアメがドッキングしている場合もありました。
当時、熱心なナムコオタクだった、この私。
プレイシティキャロット琴似店でエレメカ「ワギャン」の洋美さんのスコアを予想したり、札幌そごうの屋上で当時ナムコのサウンドチームの一員として活躍していた「中潟憲雄」さん(現在は独立)のミニライブで感激したりと、ラジアメのおかげで たくさんの思い出づくりをさせてもらいました……。
ところで、この番組は、初代パーソナリティの大橋照子さん(上の写真右)から斉藤洋美さんにバトンタッチされて以降も、大橋さんの影があちらこちらに残り続けました。
一時期は、大橋さんが担当するコーナーまであったほど。
そのとき、二代目の洋美さんは、どう思っていたのでしょうか……。←そんな微妙な話を掘り返すなよw
この大橋照子さんと斉藤洋美さんは、ラジオの世界では「たんぱ三人娘」と呼ばれていたそうです。
いやまぁ、イマドキの若者は「短波ラジオ」なんて聴いたことないでしょうけど……。
で、このたんぱ三人娘のあとひとりが、「小森まなみ」さんというかたです。
小森まなみさんは、1984年に「mamiのRADIかるコミュニケーション」という深夜ラジオ番組を担当し、こちらは主にアニメオタクたちの人気を博しました。
そのmamiのRADIかるコミュニケーションは、なんと現在まで20年以上も続く、いやがらせかという勢いの長寿番組となっております。アニオタの忠誠心恐るべし……。
はい!そろそろまとめに入ります!←そんな宣言いらないからw
この「ラジオはアメリカン」は、リスナー・出演パーソナリティ・番組制作者・スポンサーたちそれぞれの距離感が、とても近いラジオ番組でした。
そして、リスナーたちの間に生まれる番組への親しみと愛着、リスナー同士のつながりと連帯感は、同様に、スポンサーであるナムコにも向けられました。
結果的にナムコは、このラジオ番組のおかげで、多くのナムコ信者を獲得したのではないでしょうか?
この私、三代目パーソナリティの「大原のりえ」さんに替わる前後まで、何年にも渡ってラジアメを熱心に聴いておりました。
北海道のHBCラジオのオンエア分を聴き終えたら、すかさず雑音だらけのTBSラジオオンエア分へとはしごして、毎回2回分のオンエアを聴いていました。
しかも、毎週の放送は、必ずカセットテープに録音して、それを何度も聴き返したりもしたものです。
そのカセットテープの山は、最近まで、押し入れの一部を占拠し続けておりました……。
私、今回ご紹介したこの3冊のラジアメ本は、今後もできる限り保存しておきたいと思っております。
でもまぁ、3冊セットで2万円払うという酔狂なかたがおられましたら、喜んでお譲りいたしますが(笑)!←ぼったくりすぎw
スポンサーがナムコだという理由で聴き始めた、この「ラジオはアメリカン」という番組。
そんなきっかけではありましたが、振り返ると、私の青春はラジアメとともにあったといえそうなほどです。
おかげで、この私に「オタク要素」がしっかりと根付いてしまったワケですが、それはそれでよかったのではないかと、思ったり思わなかったりする次第だったりじゃなかったり……って感じ(笑)。←最後はウソでも自信もって いいきって欲しかったw
- 「ラジオはアメリカン」記事一覧
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(「痛いノート」シリーズ。ラジアメ内のCMのナレーションを速記) - >■ 2007年11月7日:ナムコがスポンサーの伝説のラジオ番組「ラジオはアメリカン」の本『みんな正気です』
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